24歳~ 国家試験合格。研修医。
医学部時代の成績は低空飛行の一言だったけど、なんとかダブらずマッチングも卒業試験も国家試験もパスして希望の職場に。研修医1年目の年。
そして入職即アーリーリタイアを決意した。
やはり自分の人生(訴訟リスク)や命(ブラック勤務体制)をベッドしてまで助ける価値のある生命は少なく、
なによりこの価値観を共有できない医師達の中で生きていくことは苦しいと感じながらなんとか2年間の研修を耐えることを決意。
一番理解できなかったのが
『株とかFXとかの知見がありリスクとリターンの考え方に慣れている人で、特に医師家系でも何らかの縛りがあるわけでもないのに医師を続けるつもりでいる人』の存在
医者にはなんの迷いもなく損得勘定抜きで医者続けてるこれはこれで理解に苦しむ人種がいるのですが、損得勘定ができるくせに医者続ける上記の人種は自分にとってもう本当に理解の外なんですよね。
どこでどう帳尻をつけてこの仕事に人生の大半をベットできるんだろう。
いつか仕事を辞めるために本格的に生活を切り詰め始める。この時点では物件購入の頭金を確保して不動産に手を出すつもりでいた。
25歳~ FIREという言葉と出会う。米国株投資への参入
FIREという言葉に出会う。米国株という投資先についても様々な方面から情報を得る。
一方で不動産は情報収集の結果プロ相手に物件を確保することの難しさ、医者で稼ぎつつ大家業の二足の草鞋で運営していくことの厳しさに気がついていくようになる。
うんうん考えた結果FX以降距離を取っていた資産形成への再参戦を決意。幸いなことにお金(種銭)は溜まっていた。
コロナショックで暴落した相場に全力投資(現物)を行い落ち続けるナイフに構わず手を出し続けた結果、年の後半にはプラ転し資産を大きく伸ばす。
暴落時に投資を始めたためキャピタルゲインも相当に乗っているが、FX時の苦い思い出から『含み益は含み益』的な考えがどうしても強く個人的にはインカムゲインを重視するスタイルに落ち着く。
投資先は積立NISAとiDeCoで米国企業を対象にした投資信託を選んで保険にしつつ
特定口座で日本株に手を出すといった感じ。
26歳~ 専攻医になる。
悩みに悩みまだ『まともな医者』であることに囚われた結果、某外科で大学医局に所属する。
結果としてこれは大失敗。
配属先で便利に使える奴隷として内科ですらないのにコロナ診療に駆り出される。
感染症内科も呼吸器内科も知らんぷり。
断れない若手に押し付ければいいという魂胆が見え隠れする状況に嫌気がさす。
医局の奴隷を受け入れたのも、外科医としての経験と専門医のため。
症例積めず、手術できず、薄給でマジでやりたくない内科管理と発熱外来に駆り出されるのは医局の奴隷の想定に入っていない。
もともと如何に早く臨床から離れるかを考えていたこともあり計画を前倒しにして臨床医から離れることを決意。
27歳~ 脱臨床・医局を辞める
で書きましたが、僕の価値観で臨床医に適応できるわけ無いだろってことで上で決意した通り
えいやっと医局辞めました。
ホント医局入ってた時間無駄だったな…と後悔するばかり。
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