19歳~ 大学生活を謳歌
しつつ、アベノミクス効果で大きく資産を伸ばす。
アベノミクスのおかげで民主党政権時代の異様な円高はどんどん修整されていった。
(この時の円高は実際異常だったと思うが、実際に円高円安を指標その他で評価することはしていなかった。運が良かった)
高校までにためていた小遣いや大学入ってからのバイト代をほとんど外貨で持っていたため(円ベースで)大きく資産を伸ばすことに。
『これは儲かる』と考え始めたのが良くなかった。
大学の授業は死ぬほどつまらなかった。
性格面以外でも医者向いてないことを日々感じるようになり
バイトバイトの日々を送りつつ稼ぎをどんどん外貨に突っ込んでいくようになった
20歳~ FXへの参戦
人生の汚点その①。~23歳まで続くことになるFXの始まり。
もともとの動機が『ドルやユーロ建て外貨預金では利ざやが少ない』だったため
ドルやユーロに大きくレバレッジをかけるよりは低レバで値動きの大きな新興国通貨に投資して利益を出す。
という素人考えでFXを始めた結果、3年かけてじわじわと資産を減らす。
22歳~ トルコリラショック
FXからの退場を決意した出来事。低レバであったことから致命傷こそ避けたものの
すってんてん寸前まで追い込まれ、追い打ちでCBT~病院実習でバイトができなくなり
オフ会名目でTwitterの社会人フォロワーに交通費等援助を受けて就活を進めるという赤貧洗うが如き生活を強いられる。
成績は低空飛行。CBTで再試にひっかかるなどモチベは底辺。
病院実習に出ると『自分の人生をベッドして手に入れた患者の人生の価値』について疑問を持つようになる。
(これは事あるごとに他科を貶めるべく○○も診れないんじゃ訴訟訴訟言ってた大学講師陣に多分に影響されたと思われる。)
進路から命に大きく関わる科をすべて外すことに。
23歳~ 旧ブログ:流刑地にて 開始
数週ごとにまるで生活リズムが変わるポリクリが始まっていたことで固定で家庭教師や塾講師の仕事ができなくなっていた。金に困り果てて
対策として各種ガジェット系サイトへの寄稿などを行うようになっていた。
ボツボツ&ボツ。
実際に採用される記事は少なく、更に稼ぎはもう泣きなくなるくらい少なかった…(確定申告が余裕で不要なレベルでしか稼げなかった)
あまりに辛かったのでボツ記事を供養するために作ったブログ、『流刑地にて』を開く。
現在まで続くブログの始まり。
流刑地にて。って名前をつけていたが別にフランツ・カフカのことが好きだったとかではない。
というか知らなかったしこの後検索上不利になっていることを知りブログ名は何度か変更することになる。
ブログを書くのは楽しかった。
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