28歳になる直前に書いた抑うつについての日記。

日記・雑記

-まえがき-

書いたは良いが、どこにも公開していなかったもの。
せっかくなのでここで供養しておく。
過去にも書いた(Covid19診療に疲れ果てた-退局- 2021/10/23)通り、自分はCovid-19診療に徴収されたことを契機に心身の不調をきたし臨床から離れることになった。
でもアレは実際とは少し違う。自分を守るために都合よく改変している。
呼内や感染症内科がCovid-19拒否したことや、患者の属性がクソだったのは本当だけど
患者の治療に積極的になれなかった。ってところは社会性フィルターが入っている。
実際には自分が死にたいとは思わない代わりに、目に入る人間皆殺してやりたいくらいのどす黒い感情がこみ上げていた。
それを理性で抑え込んで、笑って誤魔化して診療に当たる日々
医学部進学以降、自分を肯定し続けた理論武装が揺らいだのが臨床を続けられなかった決定的な理由だと思う。
…ということが書きたかった日記なのだろうか。

-本文-

2021年当時の僕はレターボックスに入っていた超過労働者への面談書類を『面談担当者の業務時間内に俺がフリーになる時間があるわけないだろ』と握りつぶして働いていた。
そんな中、所属する医局から来年度の配属希望が届いた。
そういえば事前調査では常勤希望でいくつか希望順位つけていたっけとか考えながらExcelファイルを開いて、書こうとした。
書けない。開いて、書けない。開いて、書けない。
やばいと思った。
多分この配属希望が最後の最後、自分の臨床医としての人生にトドメを指した。
『Point of No Return』だ。あの時の自分に未来を考えることは過負荷だった。
書けない間はいつも頭の中が真っ黒でノイズまみれ。
いくつもの選択肢が絶叫のように頭の中でまわる。
これまでの人生で挫折して頭が真っ白になったことはあったけれど。
逆に自分の思考がコントロールできていないと感じるのは初めてだった。
文章から拾った文字は意味がわからないまま頭を回ったし、料理の味がわからなくなった。
逆に音には過敏になった。なんとか気晴らしをしようと予定を入れても、当日になれば動けない。
カーテンを開けることがなくなり、つらくてだるくて自宅ではじっと動かないようにすることに慣れていった。どんどん活動量は減っていった。
この状況で生き続けることに恐怖を感じるようになったので自分を守るために思考も止めた。考えれば考えるほど自分の中に毒が回るようで怖かった。
わかっていたのは『来年このまま医師として働くことはできない』ということだけ。
考えるのをやめたところで事態が好転するわけでもなく、業務に忙殺されている間に時間は容赦なく過ぎて、ついに配属希望調査の提出期限が来た。
(定時はもちろん過ぎているのだけど)珍しく早く業務が終わった日で、当然のように定時を過ぎてから始まり終わるカンファが終わってから自分の外来ブースに閉じこもってExcelファイルと向き合ったのを覚えている。
こういった時に自分のよくやる手法は『常勤希望』と『休局希望』のExcelファイルを2つとも作ってしまうこと。
実際に2パターンのファイルを作ってあとは自分の中で決着をつけて添付するだけ…のところまでなんとかたどり着いた。作業量的には10分でこなせるのに何時間もかけ、誰もいなくなった外来ブースで完成したファイルを並べて見る頃には頭の中は思考の奔流ではなく恐怖の絶叫で満ちていた。
ストレートで歩んできたキャリアで立ち止まることへの恐怖、レールから外れる恐怖、期待に背く恐怖。恋人になんて言えばいい?親兄弟には?
あんなに思考がまとまらなかったのに、『休局希望』のファイルができてしまうとこれを送付するだけで失うものがクリア目の前にイメージできてしまった。体は泥に埋まっているのではないかと思うほどに重くなった。
結局終電ギリギリまで時間をかけて
精一杯の勇気を振り絞って『休局希望』のExcelファイルを添付して送った
誰もいない外来から医局、電車で自宅に帰る間ずっとヘラヘラ笑っていたと思う。
配属希望調査を出した翌日からは嘘のように気分が晴れやかだった。多分ハイになっていたんだと思う。
週末には配属希望の内容を見た先輩や医局長から連絡が来た。
週明けには医局から連絡があったであろう部長との面談があった。はずなのだが
このあたりの記憶はあまりない。
その後予定されていた夏休みを取った後
職場の精神科を受診させられ、睡眠障害ということで眠剤を出されたが
職員からの閲覧を防ぐロックかけるために自分のカルテ開いたら普通にうつ病って書いてあったよ。
だろうね。
処方された眠剤はごく初期を除いて飲まなかった。短時間作用型のくせになぜか起床後の副作用がきつかったのもあるけど
就寝中も電話で起きられる程度の浅さの睡眠でなければならない
入眠の数時間後に起きなければならないって眼の前の状況が解消されてないんだから
ぐっすり眠れるようになるのは個人的に望ましくなかったんだ。
実際、労働負荷が減って十全に眠れる外部環境になってからは不眠が嘘のように消え去った。
その後、ハイになった反動でちょっとばかし落ち込んだ時期もあったりしつつも
こうして日記を書く程度に元気になったのが今。
体調を崩してからの半年弱でわかったこともある。
僕は間違っていた。
無条件に自分を肯定できないのであれば、自分の中の(理論武装された)正義に背いてはいけない。
世の中には無条件で自分に価値があると信じられる人種がいる。それ自体はとても素晴らしいこと。
でも自分は違う。理論武装でようやく自分を支えている類の人間だ。
仮に理論武装を組む方針の核になる正義が他者に受け入れられないとしても。それに逆らうような生き方をしてはいけない。
そんな理論武装の組み方をしてはいけない。
その正義は、別の場所なら肯定されるものかもしれない。場所を変えれば正義に従って生きることもできるだろう。
(拝金主義の聖職者は悪かもしれないが、拝金主義の投資家はきっと受け入れられる余地があるだろう)
その正義が、どんな場所でも受け入れられない、社会通念上許されないものであれば触れないように生きるしかない。
僕が医師として聞こえよく汎用性の高い理論で作った理論武装は、自分の根本の価値観と合わないものだった。その延長で未来を見ようとしたから、バグが起こったんだと思う。
自らの正義と逆行する理論武装を構築したせいで、自分がその矛盾に耐えられなくなった。
今はそう考えている。

-最後に-

※これは当時の日記ではなく、記載時点(2022/06)追記
『薬も飲まずに1ヶ月そこそこで元気になるとかほんとにうつ病だったのかよ』
って笑って言う友よ、
それは君が僕が心身を壊したタイミングでZoomの飲み会を頻繁に開いてくれたからだ。
僕が夏休みや有給を使って心身を休めたタイミングで東京に来て飲んで遊んで旅行に連れ出してくれたからだ。
そして君が僕と似たように悩み、行動し、脱臨床してもやっていけると身をもって示してくれたからだ。
君のおかげなんだ。
もちろん君以外にもいろんな友人の世話になった。家族も心配してくれた。
僕は友人、家族たちを愛してる。
これを確認できたことが、心身を傷つけた期間で得られたこの期間で唯一よいこと。
愛してるって言葉を使うと僕の意図と異なるように聞こえるから(同性愛者だったりファザコンマザコンシスコンだったりね)あまり表立っては言わないようにしているけど、愛してるとしか言いようがないのだから仕方がない。
愛しているからこそ、次は彼らの力になりたい。
それでは。

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