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臨床から離れて丸4年 抑うつと今を振り返る日記

日記・雑記

 

✅️臨床を離れて四年が経った

過去の記録にもある通り。僕は2021年10月。所属していた医局に退局の意を伝えた。

そして、2022年3月31日をもって。臨床の現場から離れている。

今は別の形で、医師免許というライセンスを活かして働いてはいるものの。

原則として、治療行為や診療行為の類は一切行っていない。

今日は2026年4月1日。 臨床を降りてから、丸4年が経過した。

臨床医ではない生き方も、はや5年目に入ろうとしている。

良い区切りなのでここらで少し、これまでを振り返ってみようと思う。

✅️当時の思い出

過去の日記で体調を崩した時のことについて、何度か書き記したことがある。

けれど正直なところ。今の僕は、あの頃の切実な感情を、もうあまり憶えていない。

「人間は、思い返すために記憶を改ざんする生き物だ」 どこかでそんな言説を耳にしたことがある。

あれほどまでに辛く、苦しかったはずの記憶も。今となってはなんとなく、中身の抜け落ちた空っぽの器のようになっている。確かにそこに何かがあったのに中身が何だったのかは驚くほどに希薄だ。

健康を取り戻した今の自分が当時の文章を読み返してみると

「ああ、よほど追い詰められていたのだな」と、どこか他人事に感じる。

 かつて、うつ病という診断を下され。労働という行為そのものが不可能になり。

その後、文字通り「無理やり」に自分を立て直して、今を生きている。

※本当に、文字通りの「無理やり」だ。もし今の僕が、当時の僕へ赤の他人として助言できるのなら。「余計なことは考えず、もっと休んでおけ」というだろう。

✅️かつて志したものは失ったまま戻ってこない

誤解のないように先に断っておくが。現在の体調は万全だ。

勝手な通院の自己中断などではなく、主治医のもとできちんと終診を迎えてから四年弱。

体力は十二分に回復し、睡眠の質も良く。趣味に没頭するだけの時間的精神的余裕もある。

対抑うつ気分については、現状僕の完勝といっていい。

だが、そんな満たされた状況にあってもなお。「もう一度、臨床に戻るか」と問われれば、それは「できない」と答える。

体調に不安があるから、とか。一度ドロップアウトしてしまった身だから、とか。そういう次元の話ではない。

そろばんを弾き、損得勘定の果てに臨床を避けているわけでもない。むしろ僕は今でもできるものなら臨床やったほうが潰しが効いて良いと思っている。

 ただ単に。もう、心がそちらを向かないのだ。

それに加えて。僕は、自分自身を信じきることができなくなってしまった。

もともと、ポジティブな動機を原動力にするタイプの人間ではなかったけれど。

輪をかけて、何かを「前向きな理由」で選択し、実行することができなくなっている。

客観的には、僕は前に進んでいるように映るのだろう。だがその実態は、本当に嫌悪するものから、全力で距離を取っている結果に過ぎない。

追いかけてくる嫌なものからを見ながら、逃げるようにバックすれば。傍目には、前進しているように見えるでしょう?

以前。「自分の中の正義に背いてはいけない」「間違った論理武装の組み方をしてはいけない」と書いた。

これは、今でも間違っていないのだと思う。

そして、今も失われたまま戻らない僕の心の機能は、これらを犯してしまったことへの、どうしようもない後遺症なのだろう。

✅️四年経った今、あの頃を考える

今、あの時を振り返って「後悔している」と表現するのは。

おそらく、少し違う。

悔やんでいる、というのとは違うからだ。だって臨床自体うっすら嫌いだったのは間違いないのだから

自分の心に逆らった理論武装の結果臨床のキャリアで身を立てようとした判断ミスを悔やむことはあっても、ミスの事後処理としての対応を悔やむようなことはない。

でも、「悔しい」という感情は、確かにある。

「悔やんでいる」と「悔しい」が、どう違うのか。自分の思いをこの言葉で正確に表現できているかは分からないけれど。

臨床から離れたという事実自体は、良い。

でも、臨床から「離れざるを得なかった」という点は、とても悔しい。

このニュアンスで伝わるだろうか?

今でも、仮想であっても

あの時、あの方向で、あの視点で。その延長線に自身の未来を考えること自体が、僕にとっては耐え難いほど辛い。

 一度「間違えた」と明確に理解している方向へと思考を巡らせること自体が、ただただつらい。

だから、僕の人生にあの道が入り込むことは、きっとこの先もない。

そんな風に感じるようになってしまった道でも。離れざるを得なかったことが。何にかはわからないが、何らかの意味で敗北したことが、とてもとても悔しい。

 結局のところ。僕はひどく負けず嫌いなのだ

確かに、自分の価値観と臨床医としての生き方にはズレがあった。しかしそれは、致命傷になるほどのズレではなかったはずなのだ。

社会で生きるためには十分に受容できるズレであったはずなのだ。

コロナチームへ行くまでは。自科の業務には、それなりに適応できていたはずのだから。

おそらく、コロナという特殊環境さえなければ。そのズレは、なんとか許容範囲内で収まっていたはずなのだ。

コロナという、足元がぐらついた状況で。目線がぶれる状況で。未来を考えてしまわなければ。

あそこで、少し馬鹿になって。先のことを考えずに、眼の前だけを見ていられたなら。

あの時1年くらい、休む、働かない、中断するという選択肢を取れたなら。

もしくは、自分の原始的な欲求にもう少し正直であれたなら。

もしかしたら回復後に、続けられていたかもしれない。

でも、当時の自分にその選択肢は取れなかった。

奨学金の返済が必要だったこともあるし。何より、立ち止まることこそが最も怖かった。

自分の目は、きっと時間にして多分十年後くらいにだけピントがあっていて。

コロナが続いた十年後と、立ち止まったままの十年後しか見えなかった。

眼の前のものは。見えていなかった。

あの時様々考えたものとことは、総論間違っていなかったかもしれないけれど

それとはまた別に、1つ1つの判断とは全く別の問題として、あの時の姿勢はとてもアンバランスだった。

僅かなズレも、遠くに伸ばせばズレは大きくなる。

コロナと、必要以上に遠くにあわせたピント。二つがズレを大きくした。

✅️今の自分は

今もそうだ。

僕は相変わらず、遠景にしか焦点を結べないままで。未来の自分が一切進歩していないことに怯えている。

立ち止まることができなくて、1つ終われば次を求めてしまう。救えないほどに変わっていない。

立ち止まることができないのは、昔から「停滞」が一番怖いからだと思っていた。

でも、最近はすこし違うように感じている。 長期的な目線で様々なことを判断してきた自分は…

逆に、眼の前のことにちゃんと向き合ってこなかったのではないか?

現在を理性で抑え込もうとしていることは、眼の前の事象から必要以上に逃げた結果ではないだろうか?

僕にとって未だに一番怖いのは眼の前のことに時間をかけて向き合うことだったのではないのか?

遠くを見ることであらゆることを途中にして、1つ1つ向き合ってこなかったのが今の僕ではないか?

働き方が変わって。さまざまな人間のキャリアを見た結果。

自分なら絶対にしないような選択肢を、平気で取ってくる人間があまりに多いことを知った。

何をどう計算して。何をどう折り合いをつけて。そんな考え方をしているのか、そんな選択肢をとっているのか。まったくもって理解できないときもある。 トータルマイナスじゃないかと思う対応をしている、そんな人でも、むちゃくちゃでも眼の前の問題に対処しようとしているその一点において。僕より上等かもしれない。

きっとそれは、健康にとって悪くないのかもしれない。少なくともメンタルには。

未来を見据えて。遠くを見据えて努力することは、一見正しく、論理的だけど。 眼の前の事象に100%向き合うことから逃げていたと言われたら。それを否定できない自分がいる。

✅️未来の自分

ここまで、誰かに あんまり遠くばかり見るもんじゃないよ と言いたくて書いてきた。

書いてきてなんだが、多分僕は、生き方を変えられない。

四年間、安定して働けている。体調も問題ない。自分でもきちんと働けていると思う。

それでも、目に見える何かが積み上がらないと、不安で仕方ない。 そして、その目に見える何かは「給料」ではないらしい。給料が上がっても、使っても、自分は満たされない。

キャリアを変えて。もうゆっくり生きていこうと、そんなふうに考えていたのに。今、また努力をはじめてしまっている。 頑張ることはやめようと、自分を大事にしようと。そんなふうに考えていた自分が、確かにいるはずなのに。今、自分をどんどんと追い込んでいこうとしている。

そして、僕は追い込む理由を考えるのが。自分をがんじがらめにする理論武装を組み立てるのが大得意だ。 自分も他人も正論で追い詰めるのが大得意な、嫌なやつだ。

多分これは、死ななきゃ治らない。

だから死ぬまでこの生き方をしながら。それでもたまには、意識して眼の前も見てみようと思う。

✅️未来ある人へ

この日記を今日書き始めたのは、今日が4月1日で、就活に使ったであろうリクルートスーツをそのまま身に纏い、入社式へと向かうであろう若者たちの姿を街のあちこちで見かけたからだ。

春になり、今年から病院で働き始める研修医も。

専門の道へと進む専攻医も、きっとたくさんいることだろう。

まずは、彼ら彼女らの未来が明るいものになることを。

そして、彼ら自身が望んだキャリアを歩み通せることを、心から祈っている。

一度体調を崩してドロップアウトしたという経験を持ってしても、自分を何一つ変えることができない愚か者から。

もし、彼らに一つだけアドバイスできることがあるとするならば。

落ち込んだときは、正解とされる選択肢を選びたくなるし、立ち止まることにはときに恐怖が伴うけれど

もしかしたら、あなたの大事なものが壊れてしまう前に「立ち止まること」それ自体が正解となるタイミングも、人生にはあるかもしれないよ。

とだけ、伝えたいなと思う。

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